趣味のアマチュア無線について少し綴ってみました

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私の無線史...

 わたしの趣味であるアマチュア無線について、少し綴ってみました。中学生の時に無線従事者免許を取って 大学時代に一旦閉局。つい最近再開局を果たしました。今や世の中はネットの時代ですが、無線には昔追い続けた 夢があり、蘇ってくる懐かしい世界にひたっている今日この頃です。


無線との出会い

 私が初めて無線に対して興味を持ったのは小学生の頃でした。学校の朝礼で先生がワイヤレスマイクを 使ってしゃべっていたのです。コードもつながっていないスピーカーから、なぜ先生の声が聞こえてくるのか? 手品みたいに不思議で、好奇心をそそる光景でした。よく考えてみれば、既にテレビやラジオ等、同じ電波と いう仕組みを利用した物が日常生活の中にはあったのですが、それは受信としての機器であり、特に何の疑問も 持たなかったのでしょう。しかし、ワイヤレスマイクは、それが自体が送信機として私の身近に存在した事が、 大変興味を抱かせる原因であった様に思います。 その次に知ったのが、おもちゃのトランシーバーです。送信機と受信機を兼ねたトランシーバーにも大変興味を 引かれました。当時、お菓子の懸賞でトランシーバーが当たるというのがあり、凄く欲しくてたくさん応募し ましたが、くじ運も悪かったのでしょうか全然当たりませんでした。


アマチュア無線への憧れ

 中学生になって、アマチュア無線の存在を知りました。金持ちの友達が、セパレート型のHFの送受信機と 50MHzのトランシーバーを持っていました。国内や海外の無線局と交信している事を知り、私もやってみたいと 思うようになり、とりあえず国家試験を受けて、電話級(現在の四級)アマチュア無線技師の免許を取りました。 しかし、当時の無線機は高嶺の花で、親にねだって買って貰える様な状況ではありませんでした。


50MHzで無線局開局へ

アイコム AM-3D  希望の高校に合格できたら、50MHzのトランシーバーをお祝いに買って貰えることになり、受験勉強に励み ました。結果めでたく合格、早速無線販売店で、井上電機のAM-3Dと4エレの八木アンテナ一式 を購入し、暫くは50MHz AMの世界で、無線交信に没頭しました。しかし、50MHzではローカル局との交信が メインで、交信局数と交信距離は限られていました。たまにEsが発生して、北海道や沖縄の局と交信が できる事もありました。しばらくして、国内との交信が安定してできる7MHzに出てみたいという 欲求が高まってきました。しかし、HFの無線機は高価で、高嶺の花の存在でした。


自作で7MHzでの交信に挑戦

 その頃のCQ誌に、たまたま3.5MHzのダイレクトコンバージョン受信機の製作記事が載っていました。 こんな簡単な回路でHFのSSBが受信できるのか?と半信半疑でしたが、7MHz用に応用する事ができると考え、 とにかくHFの世界に入りたい一心でジャンクをかき集めてきて製作しました。出来上がって聞いてみたところ、 フィルターがないため、大混信状態です。製作記事の設定周波数が3.5MHzだった理由がわかりました。 それでも、7MHzHFの国内交信はワッチだけでも楽しめました。そのうち、送信機をなんとか自作できないかと考える ようになりました。当時のCQ出版社の製作記事に、高価なクリスタルフィルター無しで作れる、PSN方式のSSB送信機 の製作記事を見つけました。これを作れば、HFで交信ができると考え、再びジャンク部品集めの日々が始まります。 SSB送信機は、ダイレクトコンバージョン受信機とは違い、完成までに幾多の困難を乗り越えねばなりませんでした。 キャリアを取り除くバランスドモジュレーターまでは結構容易にできましたが、終段含む高周波増幅部分の完成に 困難を極めました。測定器は無く、テスターと自作のディップメーター、ダミーロードは100Vの電球が頼りの 手探り製作です。何とか完成にこぎ着け、だめもとでCQを出していたローカル局を呼んでコールバックが あった時には、嬉しさの余りマイクを持つ手が震えて、どのようにして交信を終了したのかわからず、その時の 感激は今でも忘れません。


アパマンでの再開局

アイコム IC-736  社会人になってからは、仕事に追われる日々となり、アマチュア無線からは暫く遠ざかっていました。 またマンション住まいとなったため、アンテナが設置できないものとも考えていました。しかし、アパマンハムと して運用されている局がいることを知り、中古ではありますが無線機を入手、AH-4のアンテナチューナーとの組み 合わせで再開局を目指しました。入手した無線機は出力が100Wです。本末転倒ですが、無線機の運用に必要な 第2級の無線従事者免許の国家試験を受ける事にし、猛勉強を始めました。当時はモールスの聞き取りもあり、 練習ソフトで耳を慣らす事に専念しました。運良く初回の受験で合格し、この勢いでついでに、夢だった第1級免許 まで取ろうと決心し、半年後の受験でこちらも合格しました。アパマンでの運用は、思ったより飛びも良いもので、 5年間の運用でJCC・JCGをMIXでクリアできました。DXもあとわずかで200エンティティに達するところまでくる ことができました。

 人間、何か一生付き合っていける趣味を持つ事は、人生を豊かで有意義なものにしてくれると思います。 私は、アマチュア無線に出会える事ができて本当に良かったと考えています。会社もリタイアした今、時間的な 余裕も生まれました。移動運用の展開も含め、まだまだ楽しんでいきたいと思っています。


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